安堂達也公式サイト|人材育成・職員研修 コミュニケーションの株式会社安堂プランニング

安達和悦物語


14 役者修行3 泥眠  


 電話営業の職場もまた、西新宿だった。9時から5時まで、昼食時をのぞいて電話しまくる。
 6~7人でひとつの班を構成し、班毎に年配のリーダーがいた。社内には6つほどの班があった。班員はリーダーから支給される名簿をもとに勤務先に電話し、
「来年度から、社会保険労務士の試験制度が改正され、大変難しくなるようです。資格を取得するなら今しかありません。自宅で学習でき、スクーリングもある通信講座を受講しませんか?」
とやる。今が最後のチャンス、というのがポイントだ。
 はじめの電話は、資料送付希望者を募ることが目的である。送るだけなら、とたいていの人は受け入れた。
 資料を郵送できるリストをまとめ、リーダーに提出する。僕はその資料を見た覚えも、送付した覚えもないので、その作業は別の部署でまとめて行なっていたのだろう。
 数日後、資料を送付した先に再度電話する。班員の電話では、やる気を促すところまでで、クロージングに近づくとリーダーに電話を代わった。そして、成約まで落とし込む、という流れだった。

 慣れないうちは電話口で熱弁を振るった。けれども、いっこうに成約に結びつかない。そのうちに、静かに電話してみた。すると相手は話にのってきた。正確に言うと、一方的にまくしたてることをやめ、相手に多くの質問をするようにした。不思議なことに、質問をすると誰もがそれに答えようとし、考え始めた。僕は相手の答えを静かに聞いて、受講に導いた。気が付くと、社内でもトップクラスの成績を上げるようになっていた。
 今から20年前で、基本給が20万。成約によって歩合もついたから、高卒の僕にとっては悪くない給料だった。
 こうして5時まで電話に専念し、その後は稽古場に直行した。

 流山児事務所での稽古は、台本ができあがるまで肉体訓練が中心だった。柔軟体操からはじまり、股割り、蹲踞、3点倒立、尺取虫歩行、ブリッジ歩行などを行う。3点倒立では、両手と頭を床につけ立ったまま、「北酒場」を歌った。倒れないようバランスに注意しながら腹筋を使って朗々と歌い上げるには、時間を要した。また、僕は肩の筋肉もからだも硬く、ブリッジができなかった。できなくても、ブリッジらしき姿勢で、とにかく歩かされた。柔軟なブリッジはきれいにへそが高くあがるが、僕の場合はコの字につぶれていた。頭をひきずりながら、それでも歩いた。きれいなブリッジではないものの、やがて前後自在に走れるようになったから、稽古とは恐ろしい。
 緊張と弛緩という訓練では、合図に合わせて指図された方向に身体を緊張させ、また弛緩した。最後に床に伏すと音楽が入り、今度はその音楽に合わせてゆっくりと起き上がる。

「おい、みんなも安達のように何かを表現しながら起きてこなくちゃだめだぞ!」
 指導役の新白石さんの声が響いた。新人が誉められることのない稽古で、名を呼ばれたことが嬉しかった。僕は起き上がるとき、日によって、卵からひながかえるイメージを表現したり、翼をもがれた鳥が飛び立とうとあがく姿を表現したりと、テーマをもって臨んでいた。

 さて、その後は発声である。発声はギリシャ神話の一節「アガメムノン」のくだりを座して暗誦する。
「立て不運のヘカベよ! ・・・」
「何言ってんだ! おめえの声は、ぜんぜん届かねえんだよ!」
 流山児氏の罵声がとんだ。声には自信があったつもりが、その自信が見事に砕かれた。その当時、僕の発声には落語のくせが残っていて、演劇的に腹から全身を使って声を出すのではなく、声のトーンを落とした、言うなれば年老いた落語家の物言いを口真似するような発声方法だった。慌てて必至にやればやるほど、あせって声が出なかった。毎回、この時間が憂鬱になった。

 稽古は午後6時から11時まで行なわれた。からだ全身を動かし、しごかれて帰宅する。今日やった稽古内容をノートに記録すると、精魂尽き果て、泥のように眠りについた。


前へ戻る -14- 先に進む

コミュニケーションの株式会社安堂プランニング 〒326-0011 栃木県足利市大沼田町99-2番地 TEL.0284・90・2020