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| 6 | 大宮時代 | 地平線 |
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「あだちぃー、だりいなあー。」
「そ、そうですか?」
「だるくねえかい。仕事なんて、やりたくねえよなあ。」
いきなりの先制パンチだった。
ホンダSF大宮工場での留学は、修理工場の現場に入り、実務を通して技術習得するというものだった。職位は「留学生」だが、実質二輪部門のサービスマンであり、社会人として扱われた。たいした整備の知識もないものの、行けばなんとかなるだろうぐらいの気持ちプラスやる気だけはみなぎらせて臨んだ出社の初日。僕の上司であり、専任トレーナーである先輩から、朝一、最初に聞かされた言葉が、「だるい」だった。
さっそくのジャブをまともにくらいながら、えらいところに来てしまったな、と思った。世の中には、いろんな人がいる。それぞれの感じ方や考え方を持って、生きている。また、他人に見せるポーズと内面は、必ずしも一致しない。むしろ、本当に大切にしていることや自分の思いは、表に出さないことが多い。そうしたことを、僕はまだ本当の意味で、理解していなかった。
感じたことを感じたままに口に出し、おかしいと思うことをおかしいと言う。これだけの当たり前のことが、「生意気」の一言に集約され、僕はすぐに浮いた存在になった。
しばらくして、四輪部門の先輩から食事に誘われた。僕らは、いつも仕事帰りに夕食をとる小さな中華料理の店にいった。先輩はにこやかな笑顔で話し出した。
「安達さあ、安達が今考えていることは、俺はわかってるつもりだよ。でも、この会社をみくびらないでくれよな。安達が考えてるような人間ばかりじゃないよ。」
少しだけ、孤独感が癒されるような気がした。僕自身も、人の多様性を許容できず、心を閉ざしていたのかもしれないと思った。そのことをきっかけに、僕は先輩たちの輪に加わるようになっていった。
そのうちに、四輪部門の先輩の一人が、空手をやっていたことを知った。歳の近いその先輩とは、一緒にスポーツジムに行ったり、週末は飲み明かしたりするようになった。仲のいい先輩ができ、仕事も覚え始め、働くことが楽しくなってきた。
伊勢正三の曲に「地平線の見える街」という男同士の友情の歌がある。僕は地平線の見える場所に行こうと思った。お盆休みを使って、僕は北海道にバイクツーリングに出かけた。愛車のカワサキZ400LTDにまたがり、初めての気ままな一人旅に出た。
東北自動車道を北上していると、カワサキZ1000に乗った大柄の二人組みにつかまった。顔はすすで真っ黒、その上、全身完全武装。ハンドル上部にはステレオが
装備され、ロックが風に乗って流れてい
た。
「どこ行くのお。北海道? それじゃあ、俺たちと一緒だねえ。」
風貌は怖いのに、やたらノリが軽い。僕たちは一緒に青函連絡船フェリーに乗り、北海道1周をともにした。三人旅になった。
旅の途中、いろいろなことを考えた。家族のこと、家の仕事のこと、好きだった彼女のこと、今の自分のこと、これからの自分のこと。僕はこれでいいか。かと言って、何をすればいいのか。自分を取り巻く未来にも、摩周湖にかかる霧がたちこめていた。お茶休みの民芸店からは、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」が流れていた。
1週間の旅路は天候にも恵まれ、でっかい青空と地平線のパノラマが、僕に元気をくれた。おまけの100キロオーバーの交通切符はご愛嬌だ。だって、道がまっすぐなんだもん。
大宮も2年目を迎えると、留学生の後輩も入ってきた。僕は先輩になった。ユニフォームであるつな着も、サマになってきた。ときおり廃油回収に来る若い作業員に、働く者同士の共感を覚えるようになっていた。彼らの額に光る汗を尊いと思った。
ホンダの鈴鹿サーキットで終了式を終えた。鈴鹿では、救命研修、安全運転研修のほか、サーキット走行やモトクロス、トライアルを体験した。長くて短い2年間が終わった。
僕はガソリンエンジン3級の整備士とホンダの二輪整備士2級の資格を手に、足利に帰ってきた。家はといえば、自宅と新店舗を新築し、売り上げも栃木県ナンバー1の実績を上げるようになっていた。父の目標を名に込めた屋号は、トップオートといった。
「そ、そうですか?」
「だるくねえかい。仕事なんて、やりたくねえよなあ。」
いきなりの先制パンチだった。
ホンダSF大宮工場での留学は、修理工場の現場に入り、実務を通して技術習得するというものだった。職位は「留学生」だが、実質二輪部門のサービスマンであり、社会人として扱われた。たいした整備の知識もないものの、行けばなんとかなるだろうぐらいの気持ちプラスやる気だけはみなぎらせて臨んだ出社の初日。僕の上司であり、専任トレーナーである先輩から、朝一、最初に聞かされた言葉が、「だるい」だった。
さっそくのジャブをまともにくらいながら、えらいところに来てしまったな、と思った。世の中には、いろんな人がいる。それぞれの感じ方や考え方を持って、生きている。また、他人に見せるポーズと内面は、必ずしも一致しない。むしろ、本当に大切にしていることや自分の思いは、表に出さないことが多い。そうしたことを、僕はまだ本当の意味で、理解していなかった。
感じたことを感じたままに口に出し、おかしいと思うことをおかしいと言う。これだけの当たり前のことが、「生意気」の一言に集約され、僕はすぐに浮いた存在になった。
しばらくして、四輪部門の先輩から食事に誘われた。僕らは、いつも仕事帰りに夕食をとる小さな中華料理の店にいった。先輩はにこやかな笑顔で話し出した。
「安達さあ、安達が今考えていることは、俺はわかってるつもりだよ。でも、この会社をみくびらないでくれよな。安達が考えてるような人間ばかりじゃないよ。」
少しだけ、孤独感が癒されるような気がした。僕自身も、人の多様性を許容できず、心を閉ざしていたのかもしれないと思った。そのことをきっかけに、僕は先輩たちの輪に加わるようになっていった。
そのうちに、四輪部門の先輩の一人が、空手をやっていたことを知った。歳の近いその先輩とは、一緒にスポーツジムに行ったり、週末は飲み明かしたりするようになった。仲のいい先輩ができ、仕事も覚え始め、働くことが楽しくなってきた。
伊勢正三の曲に「地平線の見える街」という男同士の友情の歌がある。僕は地平線の見える場所に行こうと思った。お盆休みを使って、僕は北海道にバイクツーリングに出かけた。愛車のカワサキZ400LTDにまたがり、初めての気ままな一人旅に出た。
東北自動車道を北上していると、カワサキZ1000に乗った大柄の二人組みにつかまった。顔はすすで真っ黒、その上、全身完全武装。ハンドル上部にはステレオが装備され、ロックが風に乗って流れてい
た。
「どこ行くのお。北海道? それじゃあ、俺たちと一緒だねえ。」
風貌は怖いのに、やたらノリが軽い。僕たちは一緒に青函連絡船フェリーに乗り、北海道1周をともにした。三人旅になった。
旅の途中、いろいろなことを考えた。家族のこと、家の仕事のこと、好きだった彼女のこと、今の自分のこと、これからの自分のこと。僕はこれでいいか。かと言って、何をすればいいのか。自分を取り巻く未来にも、摩周湖にかかる霧がたちこめていた。お茶休みの民芸店からは、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」が流れていた。
1週間の旅路は天候にも恵まれ、でっかい青空と地平線のパノラマが、僕に元気をくれた。おまけの100キロオーバーの交通切符はご愛嬌だ。だって、道がまっすぐなんだもん。
大宮も2年目を迎えると、留学生の後輩も入ってきた。僕は先輩になった。ユニフォームであるつな着も、サマになってきた。ときおり廃油回収に来る若い作業員に、働く者同士の共感を覚えるようになっていた。彼らの額に光る汗を尊いと思った。
ホンダの鈴鹿サーキットで終了式を終えた。鈴鹿では、救命研修、安全運転研修のほか、サーキット走行やモトクロス、トライアルを体験した。長くて短い2年間が終わった。
僕はガソリンエンジン3級の整備士とホンダの二輪整備士2級の資格を手に、足利に帰ってきた。家はといえば、自宅と新店舗を新築し、売り上げも栃木県ナンバー1の実績を上げるようになっていた。父の目標を名に込めた屋号は、トップオートといった。
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