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安達和悦物語


10 バイク屋時代4 夜行  


 1日の店売りが終わると、バイクを2トントラックに積み込んで、業者仲間に配送する。それを、僕も手伝うようになった。
 そそくさと夕食を済ませると、父を助手席に乗せ、僕は行きの運転をする。そんな毎日に慣れた頃、今夜もトラックは東京の上野を目指し東北自動車道を走っていた。

 父は隣で仮眠をとっていた。僕は安全運転で、3車線の左側を走った。あああ、と口元から大きく噴き出す生あくびを噛み殺しもせず、目をこすりながら走った。

 ガガガガガッ。突然の衝撃に我にかえると、トラックは路肩端のガードレールをこすっていた。
「危ねえ、止めろ!」
 父の叫び声に急停車した。
 眠ってしまった。いつの間にか、僕は居眠り運転になっていたのだ。路肩でトラックを点検すると、助手席側のヘッドライト周辺のパネルが、そっくりそげ落ちてなくなっていた。荷台の左右にあるロープ留めのフックは、よじれていた。
 ガードレールを見た。5本のワイヤーの最上部の高さと、フックの地上高は同じだった。
居眠り運転で助手席側からガードレールに激突した瞬間に、おそらくパネルがもがれ、その後は、荷台のフックが、ガードレールに接触するときにクッションとなって、道路側にはじき返してくれたのだ。命拾いだった。

「殺されちまうよ。もういい、代われ! 俺が運転する。」
荷造りを確認し、運転を父と代わって、トラックはそれでも上野へ向かった。

 それからというもの、夜の配送に僕が呼ばれることはなくなった。そのかわり、店を僕に任せ、父は昼間から仲間のところへ配送に出かけるようになった。

 それまで客層の中心は高校生だった。しかし、この頃は高校生の来店がめっきり少なくなっていた。3ナイ運動だった。高校では、「バイクに乗らない、乗せない、買わせない」というキャンペーンを行うようになり、元気な男子高校生の足であった中古のバイクは、行き場を失った遺失物のように店先に残留した。売上は激減していた。

 業者仲間に配送されるバイクは、中古車から新車に替わっていた。デイラーから大量に仕入れることで、通常仕入れとの価格差が生まれる。その価格差を使って、仲間に新車を卸した。しかしそれでは、中古に比べ粗利は少なくなる。だから、これまで以上に回転率を上げなければならなかった。父は朝から深夜まで、寝る間を惜しんで運び続けていた。

 サークルTERRAの方は、準備や企画は行うものの、日曜のイベントには参加できないことが多くなっていた。あらかじめ休むことを決めていても、当日の朝になって、父が配送のため店を開けられないとなると、やらざるを得なかった。

 月末の集金日、デイラーの一人が父に言った。
「安達さん。集金は現金にしてくれないかなあ。」
「何言ってるんだい。手形だって払うんだから、現金と同じだろう!」
少し顔を上気させて、父は取り合わなかった。店の信用が揺らいでいた。

「お父さん、いいかげん、店の資金繰りが、今どうなっているのか、見せてくれよ!」
「馬鹿言うな。今お前が見たって、気がどうかするだけだ。見せられないよ。」
 語尾が笑っていた。笑って、隠そうとしていた。
 その何かを、僕も母も、うすうすは感じとっていた。だから、近場への配送は、軽トラックを母親も運転した。僕も、店に来るお客さんに、一台でも多く売ろうと必死になった。

 上野へ配送に出かけた父から慌てた声で電話があった。昼前のことである。
「中間地点のインターで中継するから、バイクを積んで持ってきてくれ!」
 ただならぬ気配に、僕は高速を飛ばし、80キロ超過の切符を切られた。約束のインターには、父の姿は無かった。まだ携帯電話が世に出る前だった。連絡のとりようが無かった。

 仕方なく店に戻ると、今度はデイラーから会社に電話がかかってきた。
「和悦さん、大変だ。君のお母さんの軽トラが、路上で横転した!」


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