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| 9 | バイク屋時代3 | デッキ |
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風邪をひいた。中国の若者たちと楽しい時間を共有した天津交歓会のあと、急に悪寒に襲われた。せっかくの北京ダックも、まるで味がわからない。熱もあった。けれども、日程は先に進む。
「だいじょうぶ? 天津で張り切りすぎたんじゃない。」
「何だか。でも、ひとつ大きな役目が終わって、ほっとはしてる。」
僕は洋子と並んで、延々と続く山の尾根づたいの道を歩いていた。その道は左右を塀で囲まれていた。万里の長城である。昔、この絶壁の尾根づたいに、戦があった。敗れた者の骨を拾ってくれる人はいたのだろうか。絶不調の中で、そこは終わることのない迷宮のように思えた。
「ここで撮って。」
洋子が写真をせがんだ場所は、塀と足元が朽ち落ち、進入禁止を意味する丸太が通せんぼする絶壁だった。
「もっときれいな場所にすればいいのに。」
「果てのようなところが好きなの。」
僕はカメラを覗き込んだ。果ての前で、真っ黒なコートに身をくるみ、長い髪を風になびかせながら、少しはにかんだ笑みを浮かべる洋子がいた。力のある黒い瞳に負けないように、僕はシャッターを押した。
「時は風なり。」
「金じゃなかった?」
「金だけじゃないさ。風でいいんだ。」そこまで言うと、僕は鼻をすすった。
「風が気持ちいい。」彼女の言葉にかぶって、僕はくしゃみをした。
中国でのイベントを終えると、船は沖縄へと向かった。沖縄ではひめゆりの塔や防空壕を見て回った。第二次世界大戦での戦没者に捧げる花を、船上から海へ投げ捧げた。僕らよりも若くして、命を失った者たちを思った。彼らはその命を、何のために費やしたと言えるのだろうか。悔し涙がこみあげてきて、とまらなかった。
船上では、足利落研の橋本さんらと一緒に、落語会を企画した。研修の合間の時間を使って、それぞれが思い思いの楽しみ方をしていた。
行程の最後の夜、船内でお別れパーティーが開催された。百数十名が一堂に会しての和やかな宴も終わる頃、僕は洋子に声をかけた。
「デッキで涼まない?」
「オッケー。」
二人はまだ熱気の冷めぬパーティー会場を抜け出し、デッキに駆け上がった。風邪はもう治ったとはいえ、涼むような気温でもなかった。季節はまだ冬。その夜の海風は、ほのかに酔った頭を冷やす以上にクールだった。
「やっぱり寒いね。こっちへ行こう。」
デッキのフロアに、大きな窓のある小さな部屋が空いていた。二人はそこに忍び込み、肩を並べてしゃがみこんだ。肩越しに感じるお互いの体温が、僕らの心を温めた。窓から射す星の灯りは揺れていた。二人はただ黙って、すぐそこに見える遠い星を見ていた。目に焼きつく星が消えないようにして、彼女の横顔を僕は見つめた。彼女の横顔に星が映った。やがて僕の視線に彼女も気が付き、二人のときはゆっくりととまった。
「あっ、流れ星!」
漂うときを星を見つめて刻んでいた僕らの瞳に、はっきりと流れ星が瞬いた。
「何か願い事した?」
「ううん、感謝した。僕の願いはかなったから。」
この船の上で確かめようとしていた二つ目のことを、僕はそのとき果たせたように思った。
あくる朝、最後のミーティングを兼ねた朝礼に参加するためデッキに出ると、壇上でマイク片手に歌う男がいた。後に足利市議会議員となる高校同級生の加藤君だった。皆、これで最後となる別れを惜しむように、今、この場所を楽しもうとしていた。
船は無事、港についた。大切な思い出を心に刻み、僕は日常に帰ってきた。
そのときは、まさか自分の人生がこれから大きく転回することになろうとは、夢にも思ってはいなかった。22歳の面舵一杯。本当の出港が、はじまろうとしていた。
「だいじょうぶ? 天津で張り切りすぎたんじゃない。」
「何だか。でも、ひとつ大きな役目が終わって、ほっとはしてる。」
僕は洋子と並んで、延々と続く山の尾根づたいの道を歩いていた。その道は左右を塀で囲まれていた。万里の長城である。昔、この絶壁の尾根づたいに、戦があった。敗れた者の骨を拾ってくれる人はいたのだろうか。絶不調の中で、そこは終わることのない迷宮のように思えた。
「ここで撮って。」
洋子が写真をせがんだ場所は、塀と足元が朽ち落ち、進入禁止を意味する丸太が通せんぼする絶壁だった。
「もっときれいな場所にすればいいのに。」
「果てのようなところが好きなの。」
僕はカメラを覗き込んだ。果ての前で、真っ黒なコートに身をくるみ、長い髪を風になびかせながら、少しはにかんだ笑みを浮かべる洋子がいた。力のある黒い瞳に負けないように、僕はシャッターを押した。
「時は風なり。」
「金じゃなかった?」
「金だけじゃないさ。風でいいんだ。」そこまで言うと、僕は鼻をすすった。
「風が気持ちいい。」彼女の言葉にかぶって、僕はくしゃみをした。
中国でのイベントを終えると、船は沖縄へと向かった。沖縄ではひめゆりの塔や防空壕を見て回った。第二次世界大戦での戦没者に捧げる花を、船上から海へ投げ捧げた。僕らよりも若くして、命を失った者たちを思った。彼らはその命を、何のために費やしたと言えるのだろうか。悔し涙がこみあげてきて、とまらなかった。
船上では、足利落研の橋本さんらと一緒に、落語会を企画した。研修の合間の時間を使って、それぞれが思い思いの楽しみ方をしていた。
行程の最後の夜、船内でお別れパーティーが開催された。百数十名が一堂に会しての和やかな宴も終わる頃、僕は洋子に声をかけた。
「デッキで涼まない?」
「オッケー。」
二人はまだ熱気の冷めぬパーティー会場を抜け出し、デッキに駆け上がった。風邪はもう治ったとはいえ、涼むような気温でもなかった。季節はまだ冬。その夜の海風は、ほのかに酔った頭を冷やす以上にクールだった。
「やっぱり寒いね。こっちへ行こう。」
デッキのフロアに、大きな窓のある小さな部屋が空いていた。二人はそこに忍び込み、肩を並べてしゃがみこんだ。肩越しに感じるお互いの体温が、僕らの心を温めた。窓から射す星の灯りは揺れていた。二人はただ黙って、すぐそこに見える遠い星を見ていた。目に焼きつく星が消えないようにして、彼女の横顔を僕は見つめた。彼女の横顔に星が映った。やがて僕の視線に彼女も気が付き、二人のときはゆっくりととまった。
「あっ、流れ星!」
漂うときを星を見つめて刻んでいた僕らの瞳に、はっきりと流れ星が瞬いた。
「何か願い事した?」
「ううん、感謝した。僕の願いはかなったから。」
この船の上で確かめようとしていた二つ目のことを、僕はそのとき果たせたように思った。
あくる朝、最後のミーティングを兼ねた朝礼に参加するためデッキに出ると、壇上でマイク片手に歌う男がいた。後に足利市議会議員となる高校同級生の加藤君だった。皆、これで最後となる別れを惜しむように、今、この場所を楽しもうとしていた。
船は無事、港についた。大切な思い出を心に刻み、僕は日常に帰ってきた。
そのときは、まさか自分の人生がこれから大きく転回することになろうとは、夢にも思ってはいなかった。22歳の面舵一杯。本当の出港が、はじまろうとしていた。
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