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安達和悦物語


3 少年時代 ゴング  


「安達くん、いるかい?」 
がっしりした体形。僕より一回り年上に見える角刈りの訪問者は、通信講座マス大山空手スクール機関誌の仲間募集記事を見て来たと言う。彼はすぐ近所で肉屋を営んでいた。「俺は桐生の極真会道場に行ってる。よかったら一緒に行かね?乗せてってやるよ。」
 断る理由は何もなかった。その後、有段者となって自ら極真会館足利道場の師範となる茂木さんに連れられ、僕は桐生の松島道場へ通った。

 「安達、組み手やるべ。」稽古が終わると、茂木さんがかまってくれた。無我夢中で立ち向かう僕を、ニヤリと笑みを浮かべながら、余裕でさばく。対照的な二人の組み手を、柔和な笑顔で見守る足工大生がいた。のちにエアロビクス全日本チャンピオンとなる新藤さんだった。

 中学生になったとき、同級生から暴力
的にからかわれることは、もうなかった。
ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」がヒットしていた頃だ。僕は格闘好きな友達を見つけては、よく戦った。もともと敵意
があるわけではないので、喧嘩ではな
かった。僕は戦いながら日記を付けて、
技のコンビネーションを研究し、描いてい
た『ダイナマイト拳』という漫画に活かし
た。生徒会長になっても、研究は続いた。

「安達くん、か、固くなったね。」
「新藤さん、いいな、きれいに割れてて。」
 上半身裸体の二人は、けっして怪しい関係ではなかった。この頃、茂木さんはすでに足利に道場を開き、僕も新藤さんも一緒に通った。稽古の帰りに新藤さんは、よく僕の家に寄っていった。二人はいつも、ガラス戸に裸の上半身を映しては、お互いの筋肉の付き具合を自慢しあった。無邪気だった。

 夏休みのことだった。アントニオ猪木が、異種格闘技戦でモンスターマンという黒人の空手家と戦うことになった。空手家とプロレスラーの戦いを、漫画以外で見るのは初めてのことだ。僕は興奮した。いよいよ明日の夜、生中継という、その前の晩。僕は勝利の行方を占うべく、劇画「空手バカ一代」のマス大山がプロレスラーと戦う場面を何度も読み返した。動きを想定して、自分でも体を動かす。心情はちょっと複雑だ。猪木に恨みは無い。しかし、僕は空手が負けるはずがないと思っていたし、最強だと信じていた。だって、大山総裁が、そう言ってたんだもの。

 夜はふけていく。ベットに潜り込んでも、試合のイメージが頭から離れない。また、起きだして、大山総裁の「ケンカ空手 世界に勝つ」を読み直す。ますます妄想は膨らむばかり。とうとう明け方の4時を過ぎたとき、寝ることをあきらめて、僕は空手着に着替えた。そして、まだ薄闇の残る林道、通称毛野スカイラインに走りに行った。車も人もいない舗装されたばかりの林道を、僕は意気揚揚と走っていた。気分はモンスターマンだった。「猪木を必ず倒す。」それは僕の仕事ではないのだけれど…。
 まだ、小さな森は眠っていた。朝焼けが東の空を染め始めた頃。峠にさしかかると、たくさんの白い鳥の一群が、バサバサと羽音をたてて、深緑の樹木の中から飛び立っていった。やがて陽は昇り、僕は心地よい眠りについた。

 あいにく試合は猪木の勝利に終わった。落胆を忘れた頃、今度は極真会の熊殺しウイリー・ウイリアムスと猪木が戦うことになった。
「僕の声援なくして、ウイリーに勝利は無い。」
 蔵前国技館だったと思う。リングから30m位離れたマス席から、僕はウイリーを応援していた。勇気をふりしぼり、猪木を罵倒した。ゴング前のコーナーに身を置く猪木の眼光は鋭く、30m先でもにらまれたら怖いと思った。周囲はもちろん猪木に声援を送っており、敵役を応援するでかい声の僕は、まわりからにらまれた。
 殺気だった試合だった。一度両者リングアウト裁定の後、延長再試合で両者ドクターストップ。試合終了のむなしいゴングが打ち鳴らされた。またもや不完全燃焼だった。その頃の僕はまだ、プロレスが興行であることの意味を知らなかった。

 僕は足利高校に進学した。高校でも、茂木さんのいとこである体育の堀江先生に顧問を依頼し、指導に新藤さんを招いて、空手同好会を作った。昼休みはよく、空手をやっているという同級生をみつけては、校舎の屋上で組み手をした。強い、という噂だけで友人でもない僕にいきなり組み手を誘われるのだから、今から考えれば乱暴な話だと思う。でもそのことで僕は、生涯付き合える友人と出会うことができた。
 空手の一方で僕は、落語研究会にも所属し、話芸に磨きをかけた。


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