安堂達也公式サイト|人材育成・職員研修 コミュニケーションの株式会社安堂プランニング

安達和悦物語


8 バイク屋時代2 出港  


 NHKみんなの歌に「友達100人できるかな」という曲があった。アニメーションでは、友達百人が緑の丘の上でおにぎりを食べていた。素敵だった。そんな風景を実現したいと思った。地域情報誌での呼びかけにより、サークルはすぐに仲間が集った。
 最初に合流したのが、編集長の紹介によるチャメとアゴだった。僕は親友のシミズとマサル、そしてオナイに声を掛けた。友達が友達を呼び、すぐに20人の仲間ができた。僕らは、母屋から離れていたオナイの部屋を集合場所にして、何をしようかと考えた。

「みんなで、どこかへ行こう。」僕が口火を切った。
「海へ行きたい。」チャメがつぶやいた。
「車出すぜ。」シミズが言った。
 最初のイベントはすぐに決まった。一行20人は車数台に分乗して、大洗海岸への日帰りドライブを楽しんだ。
 はしゃぎ疲れた海の帰り、ワゴンを運転していた僕の隣に、中学で同じクラスだったイズミちゃんが座った。彼女は持ってきた松田聖子のテープをかけた。流れてきた「制服」が、耳をくすぐる。後部座席の仲間達は、疲れて眠っていた。

 width=  僕らはこの集団に、レクリエーションサークルTERRAと名付けた。ラテン語で「地球」なんて、ずいぶん大それたネーミングだが、仲間の輪を大きくつなげたいと願った。
 また、メンバーには、学校関係
者も少なくなかった。小中学校や高校の教師も参加していた。そこで、遊びだけでなく、教育についても話し合えるサロンのような場所も作った。この集まりを「チルドレン」と呼んだ。
 TERRAは月例のイベントカレンダーを作り、中心メンバーは毎週オナイの部屋に集まり、次の企画について話し合った。海、山、ソフトボール。毎月遊んだ。しかし、僕は仕事の関係上、毎回、休みをとることはできなかった。それでも、準備を段取ることだけでも楽しかった。このサークルのおかげで、僕は毎日の仕事にも張り合いができた。

 同年代との集団活動に魅力を感じた僕は、市の広報誌で知った「栃木県青年の船」に参加したいと思った。これは、船に乗って中国に行き、現地の青年達と交流会を行うというものだった。仕事上、2週間近く家を空けることは大変なことだったが、無理を承知で父親を説得し参加した。

 青年の船は、実際の乗船前に多くの事前研修を行なった。地区別の郷土芸能練習では、八木節を稽古した。役割別の部会研修では、僕は現地のイベント担当になった。その部会で、洋子と出会った。彼女は小学校の教員資格を持っていて、本採用されることを望んでいた。僕は彼女をTERRAのチルドレンに誘った。
 彼女は僕を中国語の勉強会に誘った。二人はとても気の合う友人になっていた。

 虹の放水のような紙テープを港に残し、百数十名を乗せた豪華客船は、一路中国へと向かった。波穏やかで空高く、パノラマのような水平線が、僕らの期待感を盛り上げた。僕はこの12日間の旅の中で、二つのことを確かめたいと思っていた。
 ひとつは、異国の若者たちと通じ合うことができるか、ということ。
 そしてもうひとつは、彼女に対する僕の気持ち、そして彼女の気持ち。

 船旅の初夜。食後の自由時間に、僕は彼女に真顔で言った。
「この船を降りるまでに、僕は君の唇を奪うよ。」
たわいもない話からの、突然の言葉だった。彼女は絶句し、テーブル上に組んだ腕の中に顔をうずめた。彼女はしばらく動かなかった。
 彼女は、死んでしまったのか。そんな不安はよぎらない。やがて彼女の肩が震えだした。そして、少し赤く染まった顔を上げると、彼女は笑っていた。僕も笑った。

 3回目の日の出を船上で迎えると、僕らの船は大連についた。絵に書いたような熱烈歓迎をうけながら、僕らは中国に上陸、天津へと移動した。横浜アリーナほどもあるかと思われる立派な天津体育館では、中国の青少年たちとの郷土芸能の交歓による天津交歓会が行われた。
 僕は司会だった。あらかじめ用意しておいた大瀧詠一の「君は天然色」をオープニングに流した。オーロラのようなイントロに合わせて、観覧席を埋め尽くした中国の若者たちが、手拍子を打った。ナイアガラのメロディが、僕らの心をひとつにした。


前へ戻る -8- 先に進む

コミュニケーションの株式会社安堂プランニング 〒326-0011 栃木県足利市大沼田町99-2番地 TEL.0284-90-2020