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安達和悦物語


19 夢回帰線時代2 メニュー  


 腕立て、腹筋、背筋、そしてスクワット(屈伸運動)を各50回、3セット。これが僕の帰宅後の毎日の運動メニューだった。会社から帰宅すると、妻が夕食の準備をする間、娘の横で僕は汗を流した。

「洋子さあ、週2日だけ、夜、外に出ていいかな。」
「何するの?」
「青春の忘れ物、取りに行きたいんだ。」
「くさい!」
「駄目?」
「・・・・・・。」

 娘はまだ6ヶ月になったばかりだった。まだまだ子育てに父親の協力が不可欠な時期に、僕は次の行動に出ようとしていた。

「おおい、安達よお、今度俺達、舞台やるんだけどさ、おまえも一緒に参加しないか。こっちへ出て来いよ。いい台本も出来てるんだぜ。」
 中途で抜けてきた黒色テントの赤い教室の仲間達が誘惑した。毎晩のように夢の中で。来る日もくる日も、夜中になると夢の中に現れる仲間達。実際に、誘われているわけではなかった。僕の中の役者への想いが、深層意識から溢れ出していたのだ。

「洋子さあ、今度、足利で劇団作ろうと思うんだ。仲間集めて、自分で台本書いて、自分で演出して。そうして、自分の力を試してみたいんだ。協力してくれるかな?」
 妻は黙り込んだ。そして、話は終わる。そんなことを、しばらく繰り返した。

 それでも、僕は毎日、運動を続けていた。きっといつか芝居を再開する。その芝居を始めるために、僕自身最低限の基礎体力を持っていなければならないと思っていたからだ。
 ある日のこと、妻は切り出した。

「本当に、週2回でいいの。」
「そうだよ。」
「時間は?」
「9時まで。9時を過ぎたら、すぐに戻ってくる。」
「本当ね。」
「もちろん、本当だよ。」
「わかった。やりなよ。本当はやりたくて仕方ないんでしょ。」
「ありがとう、ありがとう洋子。いや、実はさ、もう劇団の名前も決めてあるんだ。劇団、夢回帰線86/91。」
「夢回帰線?」
「そう。夢と現実の境界線という意味なんだ。僕は演劇という表現方法を使って、夢の力を現実に引き寄せたい。そして、劇場に来てくれる観客達を夢の世界へ連れて行きたいんだ。」
「86/91って、何?」
「これは黒色テント68/71にならったんだけど、これから1991年までの5年間という時限をくぎって活動しようと思うんだ。逆にいえば、最低でも5年間は諦めずにやりぬきたいと思っている。」
「夢回帰線86/91、かっこいいじゃない。」
「そうか、かっこいいか。じゃあ、この僕は?」
 そう言うと妻は、僕のおでこを、人差し指でパチンとはじいた。

 僕はかつて主宰していたレクレーションサークルTERRAの友人たちに声を掛け、仲間づくりを始めた。練習場所は仲間の紹介で、民家の空き部屋に決まった。同級生を中心に、サラリーマンや高校教師、OLで構成された初期の劇団員が顔を揃えた。
 こうして、やがてデザインとステージの安堂プランニング、表現力養成安堂塾へと続く僕らの劇団が誕生した。86年、初夏のことだった。


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