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| 22 | 夢回帰線時代5 | 由来 |
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「安堂さんさあ、よかったら、芝居の手伝い、させてくれない?」
半田社長はそう言うと、黒メガネの奥の瞳で、僕にウインクした。
20世紀フランスを代表する劇作家サミュエル・ベケットの不条理演劇「ゴドーを待ちながら」は、現代演劇に多大な影響を与えてきた。この作品を邦訳したのが、フランス文学の翻訳者であり演出家の安堂信也先生だった。第一に作品が気に入っていた。僕は先生のお名前から、「信」を「達」と置き換え芸名にした。達者なり、という名の意味が良かったし、姓名を略せば、本名の「安達」にもなる。
そうして、安堂達也という僕の芸名が誕生した。安堂達也が作・演出家として世に出た処女作品が、旗揚公演の「2030年のコエル」だった。だから、公演を通じて出会った人達は、僕のことを「安堂」と呼んでいた。
「安堂さんね、芝居って夢を売る商売だと思うのよ。ね。ショービジネス。だけどね、見てるといろいろチープなところがあるじゃない。たとえば、衣装とか。うちねえ、ブティックやってるわけ。だから、衣装とか協力できるのよ。したいのよ。だって、熱いじゃない、安堂さんの舞台。」
半田社長本人が熱かった。
「聞けば、稽古する場所もないって言うでしょう。うちの店の3階が空いてるから、よかったら、そこ使わない?」
さんざん稽古場には苦労してきた。ありがたい話だと思った。
「それからね、うちの隣がさあ、美容室なわけ。須藤先生がやってる。そこでさあ、ヘアメイクとかやってもらったらいいじゃない。みんな、協力するよ。だって、楽しいじゃない、みんなで足利を面白くしていこうよ。」
彼は数年前、東京からリアカーをひいて足利にやってきたと言う。大日様の横を通り過ぎようとしたとき、なんて美しい街なんだと思って、足利で商売を始めることにしたのだそうだ。
彼の店は、その大日様のすぐ西側、北仲通りにあった。劇団員が公演のスポンサー探しで飛び込みをして、ご縁が始まった。
公演終了時に花束を頂き、おまけに夢にも思わなかった稽古場のプレゼントを頂くことになった。僕は興奮した。もう時間に縛られることなく、芝居の稽古ができる。さっそく、次の公演に向けて活動を開始しようと、仲間達に連絡した。
ところが、意外にも劇団員の反応はクールだった。それどころか、大部分の仲間達が、もう芝居はやめると言い出した。
いくら聞いても、その答えはあいまいなものだった。その頃の僕には、仲間達がやめてしまう理由が理解できなかった。きっと、サークル気分で参加してみたものの、実際にやってみると、公演までの道のりは想像以上にハードなものだった、ということだろうかと考えた。その理由の大部分が、実は僕の性格に由来していたのだと気づくようになるまで、その後10年以上かかることになる。
劇団員として残ったのは、高校生の頃、かおりちゃんと一緒に入団してきた渡瀬貴春たった一人だった。僕は彼女と二人だけで、ようやく手に入れた稽古場での稽古を開始した。そして、次の作品を書き始めた。
作品の構想は、不二子F藤雄のSF短編の短い台詞から開けていった。
「昔、地球という星があったという・・・」
この台詞に僕は震えた。既に地球がなくなっていることから始まる物語。核の脅威によって、終わる世界の話。劇作家、北村想の「寿歌」の影響もあった。僕は、核戦争の危機感が蔓延する世界では、核シェルターの訪問販売もあるだろうと考え、その営業マンの物語を紡ぎ出した。ドジで憎めない高田君の物語だ。
半田社長はそう言うと、黒メガネの奥の瞳で、僕にウインクした。
20世紀フランスを代表する劇作家サミュエル・ベケットの不条理演劇「ゴドーを待ちながら」は、現代演劇に多大な影響を与えてきた。この作品を邦訳したのが、フランス文学の翻訳者であり演出家の安堂信也先生だった。第一に作品が気に入っていた。僕は先生のお名前から、「信」を「達」と置き換え芸名にした。達者なり、という名の意味が良かったし、姓名を略せば、本名の「安達」にもなる。
そうして、安堂達也という僕の芸名が誕生した。安堂達也が作・演出家として世に出た処女作品が、旗揚公演の「2030年のコエル」だった。だから、公演を通じて出会った人達は、僕のことを「安堂」と呼んでいた。
「安堂さんね、芝居って夢を売る商売だと思うのよ。ね。ショービジネス。だけどね、見てるといろいろチープなところがあるじゃない。たとえば、衣装とか。うちねえ、ブティックやってるわけ。だから、衣装とか協力できるのよ。したいのよ。だって、熱いじゃない、安堂さんの舞台。」
半田社長本人が熱かった。
「聞けば、稽古する場所もないって言うでしょう。うちの店の3階が空いてるから、よかったら、そこ使わない?」
さんざん稽古場には苦労してきた。ありがたい話だと思った。
「それからね、うちの隣がさあ、美容室なわけ。須藤先生がやってる。そこでさあ、ヘアメイクとかやってもらったらいいじゃない。みんな、協力するよ。だって、楽しいじゃない、みんなで足利を面白くしていこうよ。」
彼は数年前、東京からリアカーをひいて足利にやってきたと言う。大日様の横を通り過ぎようとしたとき、なんて美しい街なんだと思って、足利で商売を始めることにしたのだそうだ。
彼の店は、その大日様のすぐ西側、北仲通りにあった。劇団員が公演のスポンサー探しで飛び込みをして、ご縁が始まった。
公演終了時に花束を頂き、おまけに夢にも思わなかった稽古場のプレゼントを頂くことになった。僕は興奮した。もう時間に縛られることなく、芝居の稽古ができる。さっそく、次の公演に向けて活動を開始しようと、仲間達に連絡した。
ところが、意外にも劇団員の反応はクールだった。それどころか、大部分の仲間達が、もう芝居はやめると言い出した。
いくら聞いても、その答えはあいまいなものだった。その頃の僕には、仲間達がやめてしまう理由が理解できなかった。きっと、サークル気分で参加してみたものの、実際にやってみると、公演までの道のりは想像以上にハードなものだった、ということだろうかと考えた。その理由の大部分が、実は僕の性格に由来していたのだと気づくようになるまで、その後10年以上かかることになる。
劇団員として残ったのは、高校生の頃、かおりちゃんと一緒に入団してきた渡瀬貴春たった一人だった。僕は彼女と二人だけで、ようやく手に入れた稽古場での稽古を開始した。そして、次の作品を書き始めた。
作品の構想は、不二子F藤雄のSF短編の短い台詞から開けていった。
「昔、地球という星があったという・・・」
この台詞に僕は震えた。既に地球がなくなっていることから始まる物語。核の脅威によって、終わる世界の話。劇作家、北村想の「寿歌」の影響もあった。僕は、核戦争の危機感が蔓延する世界では、核シェルターの訪問販売もあるだろうと考え、その営業マンの物語を紡ぎ出した。ドジで憎めない高田君の物語だ。
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