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安達和悦物語


26 夢回帰線時代9 家族  


 頼るわけではないが、ふと自分の境遇を思うとき、占いで自分を調べてみたりする。占いは、嫌いではない。どちらかと言えば、好きなほうかもしれない。姓名判断にしろ、四柱推命にしろ、カバラ数秘術にしろ、どれもみな、自分を言いえていると思う言葉がある。気に入らないが、よくあるキーワードに「家族縁が薄い」というのがある。

 行方知れずだった父は、母と連絡を取り合い、すでに一緒に暮らし始めていた。足利から少し離れた田舎町で、アパートを借りて生活していた。もちろん、両親ともに働いていた。母から電話があった。

「子ども達を連れて、遊びにおいで。」
 少し気の重い腹持ちのまま、いずれ行かねばとは思っていた。父に対するわだかまりもあった。女房、子どもを連れて、行った。

「よく来たねえ。」
 少し照れくさそうに笑いながら、父親は言った。頭はいっそう薄くなり、恰幅のよかった体格はしぼんで年より老けて見えた。逆に母親は太って落ち着いていた。数年ぶりの両親との再会だった。女房にとっても、結婚して初めての挨拶だった。僕は複雑だった。

 女房と子どもが席を離れたとき、僕は父からの詫びの言葉を待った。けれども、父からそれらしい言葉を聞くことはなかった。

「おじちゃんのお家、ちっちゃいね。」
 帰りの車中、悪気のない子どもの言葉が、辛かった。なけなしの金で借りているのであろう一間だけのアパートだった。高齢で働かせてくれるところにも限界がある。必死に働いているのであろう二人の姿を思い浮かべ、胸が痛んだ。

 後日、僕は一人でもう一度、会いに行った。あの日から、父はどこで、何をしていたのか。家族に対して、どんな思いを抱いていたのか、聞かずにはいられなかった。

 僕の責めるような問いかけに、やがて父は折れた。
「すまなかった・・・。」
 表情を崩しながら、搾り出すような声で、父は言った。
 僕は言葉を返せなかった。自分でも意味不明の涙がにじんだ。

 結局、何も聞くことが出来ないまま、僕は帰ってきた。帰りながら、家族をほったらかしにして逃げてしまった父を、僕はずるいと思った。そんな父親には、僕はけっしてなるまいと思ったそのとき、今の僕は、父と同じなんじゃないかと感じた。

 そんなことはない、僕は父じゃない、と否定した。否定しても、否定しても、真っ暗な部屋で、涙を浮かべて僕を待つ女房の姿が、瞼に浮んだ。

 自己否定と自己肯定のせめぎあいを振り切るように、僕は夜の田舎道でアクセルを踏み込んだ。僕の葛藤とは裏腹に、車はスイスイと自宅にたどり着いた。

 車のキイを抜きながら、僕は3つのことをしなければならないと思った。
 一つは、演劇を趣味ではなく、職業として成り立つように収益モデルとして実現すること。もう一つは、できるだけ家族と一緒に過ごせるよう、時間の使い方を工夫すること。そして、3つめは、両親が家を持てるよう僕に出来る応援をすること。


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