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安達和悦物語


18 夢回帰線時代1 雪化粧  


「新婦入場。」
  パイプオルガンの奏でる荘厳な音の
響きの中、教会の扉が開き、逆光に眩
しく輝く新婦が現れた。僕は牧師の前に
立ち、彼女をじっと見つめた。真っ赤な
バージンロードをゆっくりと手をひかれ
ながら、光よりも白いウエディングドレス
を身にまとい、ややうつむき加減に歩を
進める小さな新婦。それは、中国へ向
かう青年の船の研修で出会い、僕の青
春の谷間を支えてくれた洋子だった。一
歩、また一歩と新郎である僕のもとに彼女が近づいてくる。これは夢じゃない、現実なんだ。二人は、ようやくここまでたどり着けたんだ。僕は両の瞼からあふれ出る涙をこらえることができなかった。

 昭和60年11月24日。ここは軽井沢白樺高原教会。昨晩降り積もった雪は軽井沢の深緑を純白に塗りつぶし、二人の門出を告げる教会のチャペルが、真っ青な大空に陽光を振りまいていた。雪化粧した山並みは、陽光を照り返し銀色に輝いた。ここでたった二人きりの小さな挙式が行なわれた。

 僕はずっと役者への夢を追い続けていたし、彼女もまた、臨時採用として教職に就いて1年目だった。二人にとってお互いが大切な関係であることはわかっていたが、これほど急転回に人生の節目を迎えようとは、夢にも思わなかった。急な知らせは、夏の終わりに届いた。しかし、二人の立場も経済力も、そして僕の家族的背景や周囲の声も、けっして結婚を肯定できるものではなかった。

「今の僕には生活力なんてまるでない。でも、今の君を守れる男は、僕しかいない。大丈夫、きっと君を幸せにする。」
 洋子は小さくうなづいた。僕はそれから足利に戻り、家と職を探し、ポンコツのセダンを購入した。僕は母親に報告し、僕と洋子は、洋子の両親を説得した。僕の置かれた立場を考えれば、平坦な道のりではなかった。それでもなんとか二人で乗り越え、友人や先輩達の応援を経て、この日までたどり着いた。

 式の途中、パイプオルガンに合わせて、賛美歌を歌った。拭っても拭っても、僕の涙はとめることが出来なかった。後年、僕は仕事上、模擬披露宴の演出を行うようになる。その模擬披露宴で賛美歌が流れるたび、僕の涙腺は急に緩むのだ。

 二人だけの挙式を済ませると、親族同士と友人同士、それぞれに宴会の場を設けた。親族の宴会では、僕の大好きな七郎じいちゃんが、嬉しそうに歌を歌い、そして、僕らのために泣いてくれた。僕はそのとき、初めて僕らの知らないところで、僕らは守られて生きているんだと知った。友人同士の宴会では、僕は嬉しさの余り、泥酔してしまった。みんな来いよ、と僕が言うから、みんな狭いアパートまで来てくれたのに、結局僕はその部屋の真中で、洋子の膝の上で大の字になって終始高いびきだった。笑うに笑えない。

 そして、足利での生活が始まった。僕は市内にある事務機器の販売会社に、サービスマンとして入社した。仕事が終わるとそそくさと退社し、佐野市内のアパートに帰る。そして、妻と一緒に夕食の仕度をし、夕食後は、妻の身体をいたわった。夫婦として、もっとも穏やかで幸福な時期だった。

 やがて年が明け、周囲の桜が満開の頃、僕らは長女の誕生を迎えた。標準よりは少し小さかったけれど、五体満足に感謝した。赤子とはよく言ったもので、本当に全身赤みを帯びていた。そして、どこの誰よりも一番可愛い赤ん坊だと思った。親バカである。

「はじめまして、パパです。君のパパとママは、本当に大好きで、大好きで、一緒に生きていきたいと願っていたんだよ。でもね、パパとママは、お互いにやりたいことがあって、もしかしたら一緒にはなれないかもしれないと、本当は悩んでいたんだ。そんなときだよ、君が現れたのは。君のおかげで、僕らは決意することができたんだ。ありがとうね。君は僕らのキューピットだ。パパとママは、君を大切にするよ。生まれてきてくれて、本当にありがとうね。」
 長女は笑っていた。そして僕は、こう続けた。
「パパはね、君が誇りに思えるような役者に、きっとなってみせるからね。」


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