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安達和悦物語


27 夢回帰線時代10 システム  


「これで生きていければいいんだ。」
 演劇で食べられるようにしたい。仕事にできるようにしたい。職業になれば、きっと女房も喜んでくれるに違いないと思っていた。演劇制作のプロ興行化に向けたシステムづくりを、少しづつできることから手探りで行った。

「それじゃあ、今回の公演のギャラを支給します。」
 劇団員から歓声があがる。役者にとって、公演終了後の至福のひとときである。
 まず、お客様から入場料を頂いて観に来ていただく以上、演じる側にもプロ意識を持って欲しかった。だから、入場料や企業の協賛広告から得た収益は、支出と精算して劇団員やスタッフに分配できるルールを決めた。特に劇団員は、毎月団費として公演用の積立を行なっていたので、公演までに支払った団費以上に還元できるよう努力した。スタッフにも、気持ちではあるが、ただのボランティアに終わらないよう大入袋でお礼した。もちろん、時間給などで割り出したら、とても割の合う仕事ではないのだけれど。

 それから、毎回スタッフが入れ替わっても、芝居作りの流れを標準化できるよう、企画から本番、終了後の精算に至るまでの、数十頁に及ぶ演劇製作マニュアルを作成した。劇団員やスタッフにこれを配布し、僕がいない状態でもある程度の準備はできるようにした。僕はこうしたマニュアル作りや仕組みの文章化が好きだった。制作は旗揚げ公演から参加していた森口さんが専任してくれていたおかげで、このマニュアルはアシスタントの入門書的な役割を果たし、僕はほとんど任せきりで機能した。

 役者の日常的な訓練としては、プロの専門講師を招いて毎週稽古した。リズム感とダンス技能の向上のために、伊藤先生のジャズダンスレッスン。全身強化とアクションシーンのトレーニングとして、総合格闘技団体パンクラスの公認レフリーの岡本さんによるムエタイ(キックボクシング)。話し方や間の取り方、表現力の向上のためには、古典落語を僕の指導で行なった。その成果は、高齢者施設の慰問などで発表した。基礎的な訓練は、僕が東京で学んできたメソッドを取り入れた。

 こうした普段からのトレーニングで、劇団員達は、継続さえしていれば、確実に声が出るようになり、また身体の肉づきも変っていった。しかし、肉体や形だけの技では駄目だと想った。心技体が三拍子揃わなければ、いい役者体にはなれない。そこで、メンタル面の向上のために、モチベーションアップのためのコーチングも行なった。劇団員一人ひとりの人生目標や生き方のイメージを書き出し、みんなで発表しあった。劇団日誌を持ち回りで記帳するほか、全員にノートを配布し、演技上の悩みなどがあれば記帳し、僕がそれに応えるという仕組みも作った。僕自身は、何のために芝居を作り、何を目指しているのか、ことあるごとに話していた。
 そのような劇団のムードの中で、ストイックな姿勢にひたむきについてくる者もいれば、目指すことが違うと離れる者もいた。

 湾岸戦争が始まる前年の90年11月、第5回公演「チャイルドーム2490」を上演。この頃には、ステージも1週間連続で組むようになっていた。

 そして、劇団結成5周年を向かえる91年。足利商工会議所の中野さんが、僕を訪ねてきた。

「安堂さん、足利の渡良瀬川の公園に大きなドームテントを張り出して、1週間ぶっ通しの演劇祭をやりたいと思うんだ。協力してくれるかい?」

 佐藤信、演劇センターの黒テント。唐十郎、状況劇場の紅テント。そして、新宿梁山泊や塚本晋也の海獣劇場を愛してきた僕が、テント芝居に乗らないわけがなかった。
 この誘いが、その後の僕の人生を大きく転回させる一つの運命的な出会いを生み出すことになる。


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