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| 28 | 夢回帰線時代11 | 祭 |
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「安堂さんね。せっかくのチャンスなんだからさあ、もう町ぐるみで、みんな巻き込んで芝居つくるのよ。そのほうがさあ、絶対に楽しいじゃない。」
劇団稽古場のスポンサーである半田社長は、実行委員会による芝居づくりを僕に勧めた。そして、その仲間まで、集めていただいた。
商工会議所が主催する渡良瀬川河川敷のテントイベントは、『バサラドーム』と命名された。この『バサラ』という言葉を足利の流行語にしたのも、半田社長だった。『バサラ』とは、派手な格好をしたり、勝手気ままに振舞うこと。要するに、粋に気ままに楽しもうという意図への引用だ。『バサラ』という言葉が全国区になり、酒や車の名前に使用されるより数年も前のことである。
足利の夏に、何かわくわくできる市民主催の祭りの場を持ちたい。そんな思いから、主に通1丁目の有志が中心となり、『バサラ』という名の夏祭りを企画した。場所は、現在のDマートがある旧足利農園フラワーパーク。ここに、半田社長の呼びかけによって集まった足利の商店主や中小企業の社長達が実行委員となり、そして、社長のブティックに集まる若者たちをも巻き込んで、大人が楽しめる夏祭りが開催された。フラワーパークが移転するまでの数年間、足利の夏の風物詩として、思い出のときを刻んだ。もちろん、我が劇団夢回帰線も、その場所で演劇公演を行なった。今回の『バサラドーム』のネーミングも、このイベントから想起されたことは、想像に難くない。
さて、このドーム公演に際しての実行委員会。半田社長の呼びかけにより、彼のブレーンが多数参加。この中には、サークル結成の呼びかけ以来、お世話になっている月刊みにむの野村編集長はじめ、通1丁目商店街の皆さん、そして、とある広告プロダクションの社長にも参加していだいた。
これまで、劇団の広告印刷物は、ボランティアのアマチュア漫画家にイラストをお願いし、小さな町の印刷工場で低料金で制作していた。今回のご縁をきっかけに、はじめてデザイン会社でプログラムを制作することになった。
まさか、このご縁で出会った社長やデザイナーたちと、その後深く関わり、そして自分の起業をサポートしていただくことになるとは、このときには夢にも思っていなかった。ましてや自分が・・・。
話を戻そう。バサラドームは、当初連日各種の劇団が公演を競う演劇祭として企画されたものの、テントのレンタル料をはじめとする開催経費の捻出のため、約1週間の開催期間を企業に時間売りする、企業イベントの開催場所となっていった。メインスポンサーは、東京三洋電機とアキレス。演劇公演を行う劇団はうちだけだった。時間に応じたレンタル料を支払い、2晩2ステージを行うことになった。
上演作品は書き下ろし新作の『ノイズシンドローム』。勤続疲労によって肉体が金属化してしまう女性主人公の、今は亡き兄との思い出をメインストーリーに、ストレス社会において『心の癒し』とは何かを問い掛ける作品だった。まだ、この頃は『ヒーリング』という言葉は、世に出てはいなかった。
会場がドームテントとあって、作品のスケールも大きく、登場人物をキャスティングするために、多くの客演者を迎えた。旗揚げから世話になっている一家団乱の劇団員や、邑楽町の青年団、半田社長の店のスタッフ。個性的なメンバーが集まってきた。
しかし、それだけに、日頃から訓練している劇団員と、そうでない参加者の力量差は激しく、稽古は難航する。
劇団稽古場のスポンサーである半田社長は、実行委員会による芝居づくりを僕に勧めた。そして、その仲間まで、集めていただいた。
商工会議所が主催する渡良瀬川河川敷のテントイベントは、『バサラドーム』と命名された。この『バサラ』という言葉を足利の流行語にしたのも、半田社長だった。『バサラ』とは、派手な格好をしたり、勝手気ままに振舞うこと。要するに、粋に気ままに楽しもうという意図への引用だ。『バサラ』という言葉が全国区になり、酒や車の名前に使用されるより数年も前のことである。
足利の夏に、何かわくわくできる市民主催の祭りの場を持ちたい。そんな思いから、主に通1丁目の有志が中心となり、『バサラ』という名の夏祭りを企画した。場所は、現在のDマートがある旧足利農園フラワーパーク。ここに、半田社長の呼びかけによって集まった足利の商店主や中小企業の社長達が実行委員となり、そして、社長のブティックに集まる若者たちをも巻き込んで、大人が楽しめる夏祭りが開催された。フラワーパークが移転するまでの数年間、足利の夏の風物詩として、思い出のときを刻んだ。もちろん、我が劇団夢回帰線も、その場所で演劇公演を行なった。今回の『バサラドーム』のネーミングも、このイベントから想起されたことは、想像に難くない。
さて、このドーム公演に際しての実行委員会。半田社長の呼びかけにより、彼のブレーンが多数参加。この中には、サークル結成の呼びかけ以来、お世話になっている月刊みにむの野村編集長はじめ、通1丁目商店街の皆さん、そして、とある広告プロダクションの社長にも参加していだいた。
これまで、劇団の広告印刷物は、ボランティアのアマチュア漫画家にイラストをお願いし、小さな町の印刷工場で低料金で制作していた。今回のご縁をきっかけに、はじめてデザイン会社でプログラムを制作することになった。
まさか、このご縁で出会った社長やデザイナーたちと、その後深く関わり、そして自分の起業をサポートしていただくことになるとは、このときには夢にも思っていなかった。ましてや自分が・・・。
話を戻そう。バサラドームは、当初連日各種の劇団が公演を競う演劇祭として企画されたものの、テントのレンタル料をはじめとする開催経費の捻出のため、約1週間の開催期間を企業に時間売りする、企業イベントの開催場所となっていった。メインスポンサーは、東京三洋電機とアキレス。演劇公演を行う劇団はうちだけだった。時間に応じたレンタル料を支払い、2晩2ステージを行うことになった。
上演作品は書き下ろし新作の『ノイズシンドローム』。勤続疲労によって肉体が金属化してしまう女性主人公の、今は亡き兄との思い出をメインストーリーに、ストレス社会において『心の癒し』とは何かを問い掛ける作品だった。まだ、この頃は『ヒーリング』という言葉は、世に出てはいなかった。
会場がドームテントとあって、作品のスケールも大きく、登場人物をキャスティングするために、多くの客演者を迎えた。旗揚げから世話になっている一家団乱の劇団員や、邑楽町の青年団、半田社長の店のスタッフ。個性的なメンバーが集まってきた。
しかし、それだけに、日頃から訓練している劇団員と、そうでない参加者の力量差は激しく、稽古は難航する。
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