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| 31 | 夢回帰線時代14 | インタビュー |
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「絵を描くとか芝居をするっていうのは、心の贅沢だと思うんです。いっぱい贅沢をした人が、人に何かを伝えられるのかなって。」
劇団員の女子高生を、月刊みにむ誌上の記事のために取材した。劇団の打上げによく使うお好み焼き月ヶ瀬に連れ出し、もんじゃ焼きをつまみ、ウーロン茶を飲みながら、話を引き出した。
飛龍伝の成功後、多数の新人が入団したが、新人のケアは先輩団員達に任せていたので、僕は新人達と会話する事はまったくというほどなかった。だから、今回の取材対象の選考は、単純に笑顔の写真写りを基準にした。文章は、誰が相手でも、何とかなると思っていた。
ところが、僕にとっては月例の仕事の一つ位にしか考えていなかったが、この取材で僕は、大きな収穫を得る。彼女、岩井田真理が、とても面白いのだ。
17歳、高校3年生の彼女は、放課後は大日様前のあんみつやでアルバイトをし、夜になると劇団に通う、見た目はごく普通の女子高生だった。しかし、話の内容に、人生に対する洞察力の深みを感じた。
「曽野綾子さんのエッセイの中に、『教えるものは教え、助くるものは助け、布教するものは教え広げる』っていうニュアンスの言葉があるんですけど、人それぞれに役割があるとしたら、私は表現するものだ、って思ったんです。」
幼稚園の頃からアトリエに通い絵を習い、小学生のときに女優を志し、中学時代に演劇部に所属、高校生となって夢回帰線に入団。それは彼女にとっては、ごく自然な流れだった。また、彼女の言葉は周囲への愛情にあふれていた。3世代が同居する家の中で、彼女は自分の役割を自覚し、それを果たそうとしていた。
僕は自分の高校時代を思い浮かべ、赤面した。いつも世界は自分を中心に発想され、家族の将来の事など、考えた事もなかった。
記事は93年の10月号に掲載され、若い読者層の掘り起こしに貢献した。この取材後、僕は彼女に劇団のビジュアル面の業務を任せるようになった。彼女は、衣装、舞台美術、宣伝広告物などに、その才能を発揮していった。
後年、彼女は僕の起業に参画し、デザインワークで偉業を成し遂げる。それは、栃木県田沼町にある道の駅どまんなかたぬまのシンボルである地上高6m級のシンボルモニュメントというカタチで、結実する。
「和悦よ。ちょっと聞いてくれるかい。」
家族の将来に思いを巡らす頃、母親から電話があった。
現在、両親が住む町に適当な一軒家の中古住宅があるという。いつまでも借家でなく、早く安心して住める家に、と考えていた僕にとっても嬉しい話だった。電話の相談は、購入にともなう諸般の事務手続きやいくつかの問題点に対する協力の依頼だった。僕はようやく親孝行できるチャンスと思い、それらを一つ一つ解決し、実行した。
やがて、購入し内装をリフォームした念願の両親の家に、女房子どもを連れて遊びに行った。子どもたちのはしゃぐ姿、両親の喜ぶ姿を前にして、僕はひとつの決意を打ち明けた。
「転職しようと思っている。広告デザインの会社に。」
僕は事前に相談していた女房に小さくウインクした。
劇団員の女子高生を、月刊みにむ誌上の記事のために取材した。劇団の打上げによく使うお好み焼き月ヶ瀬に連れ出し、もんじゃ焼きをつまみ、ウーロン茶を飲みながら、話を引き出した。
飛龍伝の成功後、多数の新人が入団したが、新人のケアは先輩団員達に任せていたので、僕は新人達と会話する事はまったくというほどなかった。だから、今回の取材対象の選考は、単純に笑顔の写真写りを基準にした。文章は、誰が相手でも、何とかなると思っていた。
ところが、僕にとっては月例の仕事の一つ位にしか考えていなかったが、この取材で僕は、大きな収穫を得る。彼女、岩井田真理が、とても面白いのだ。
17歳、高校3年生の彼女は、放課後は大日様前のあんみつやでアルバイトをし、夜になると劇団に通う、見た目はごく普通の女子高生だった。しかし、話の内容に、人生に対する洞察力の深みを感じた。
「曽野綾子さんのエッセイの中に、『教えるものは教え、助くるものは助け、布教するものは教え広げる』っていうニュアンスの言葉があるんですけど、人それぞれに役割があるとしたら、私は表現するものだ、って思ったんです。」
幼稚園の頃からアトリエに通い絵を習い、小学生のときに女優を志し、中学時代に演劇部に所属、高校生となって夢回帰線に入団。それは彼女にとっては、ごく自然な流れだった。また、彼女の言葉は周囲への愛情にあふれていた。3世代が同居する家の中で、彼女は自分の役割を自覚し、それを果たそうとしていた。
僕は自分の高校時代を思い浮かべ、赤面した。いつも世界は自分を中心に発想され、家族の将来の事など、考えた事もなかった。
記事は93年の10月号に掲載され、若い読者層の掘り起こしに貢献した。この取材後、僕は彼女に劇団のビジュアル面の業務を任せるようになった。彼女は、衣装、舞台美術、宣伝広告物などに、その才能を発揮していった。
後年、彼女は僕の起業に参画し、デザインワークで偉業を成し遂げる。それは、栃木県田沼町にある道の駅どまんなかたぬまのシンボルである地上高6m級のシンボルモニュメントというカタチで、結実する。
「和悦よ。ちょっと聞いてくれるかい。」
家族の将来に思いを巡らす頃、母親から電話があった。
現在、両親が住む町に適当な一軒家の中古住宅があるという。いつまでも借家でなく、早く安心して住める家に、と考えていた僕にとっても嬉しい話だった。電話の相談は、購入にともなう諸般の事務手続きやいくつかの問題点に対する協力の依頼だった。僕はようやく親孝行できるチャンスと思い、それらを一つ一つ解決し、実行した。
やがて、購入し内装をリフォームした念願の両親の家に、女房子どもを連れて遊びに行った。子どもたちのはしゃぐ姿、両親の喜ぶ姿を前にして、僕はひとつの決意を打ち明けた。
「転職しようと思っている。広告デザインの会社に。」
僕は事前に相談していた女房に小さくウインクした。
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