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安達和悦物語


32 夢回帰線時代15 約束  


「安達君、広告やる気ない?」
 以前バサラドームの演劇公演の際に知り合った広告プロダクションの社長から、こう質問された。それは、僕が脚本制作や月刊みにむでの人物取材記事連載を知った上での、自社へのコピーライターとしての入社勧誘の言葉だった。

 事務機器の営業主任としてひとつのチームの頭になっていた僕は、その場での返答に含みを持たせながら、答えは保留のままにしていた。
 僕は考えた。現在の会社にいれば、今の形での演劇活動は継続できるかもしれない。けれども、事務機器の販売という世界では、ある程度の資本力がなければ、独立は不可能。けれども、広告制作という分野であれば、スキルさえ身につければ、自分の力で独立できるかもしれない。いつかは独立したいと考えていた自分にとって、広告というジャンルはとても魅力的に思えた。女房に考えを話すと、転職に賛成してくれた。僕はさっそく宣伝会議のコピーライター養成の通信教材を取り寄せ、演劇活動の合間をぬって広告コピーの学習を始めた。

 何回かの社長との面談を繰り返し、僕自身もコピーの独学が終わる頃、気持ちは固まっていった。できる。これは僕の道であると確信できるようになっていた。僕は両親の同意を得て、入社の意志を社長に伝え、勤務先の上司に転職の意志を伝えた。社長はすぐに専務とともに、僕の勤務する会社に挨拶に出向いてくれた。こうして、僕の転職は驚くほどスムーズに進展した。93年、32歳のことだった。テレビでは脳天気な「進め!電波少年」が人気を集め、ドラマでは暗い「高校教師」を固唾を飲んで見守る、そんな時代。バブル景気は崩壊したものの、景況感はまだどこか楽天的だった。

 さて、広告コピーライターとして入社した僕の名刺には、クリエイティブディレクターと記されていた。
「わかるかい?」社長が言った。
「クリエイティブディレクターというのは、広告制作の現場で、実際に制作を企画し管理する最高責任者のことなんだ。安達君はライターということで入ってもらったけど、実際には営業もやってもらうし、広告もまとめてもらう。リーダーとして中心的存在になって欲しいんだ。肩書きは先渡しのようなものだよ。」
 社長の期待の現れだった。僕はそれを、演劇制作の作・演出みたいなものだろうと考えた。望むところだ。そして、広告制作に没頭した。

 しかし、広告に集中するうち、大きな矛盾に気が付くことになる。広告プロダクションの1日は長く、仕事の終わりは遅かった。芝居の稽古のある日でも、稽古の開始時間に稽古場に到着できなくなっていった。

 そのため、古参劇団員のトミーを団員のリーダーとし、彼女に僕がいない間の基礎訓練の進行を任せるようにした。稽古のある日はできるだけ早めの退社を心掛けるものの、連日締切のある仕事を進行しながら、思い通りにはいかなかった。このことが、微妙に舞台制作への集中力に影を落とすことになる。

 この時期、僕は新作脚本に集中することができず、既成作品による若手劇団員の試演会や旧作の再演を繰り返した。それでも高校生の大量入団の効果もあって、学生の集客率が高まり、チケット販売に困る事はなかった。夢回帰線の公演は、あいかわらず高い人気を誇っていた。

 あるとき、劇団員の岩井田真理から大学進学の相談を受けた。
「私、文学部か教育学部か、それか美術にするか迷ってるんです・・・。親は教師にしたいみたいだけど。」
「真理はね、絶対美術がいいよ。芝居のチラシとか、舞台美術とか、君の仕事には才能感じるし。それに、僕は今、広告のコピーライターをやっている。この仕事は、あとデザイナーがいれば、できてしまうんだよ。美大でグラフィックデザイン、しっかり勉強しておいでよ。そしていつか、2人で会社をやろうよ。デザインとステージの会社だ。そうだなあ、君が卒業してどこかで修行して。僕はもっともっと経験積んで。独立は5年後、6年後の夢かな。そしたら、凄く楽しそうだね。」
 2人で、遠い将来を夢見て笑った。しかし、5年の歳月を待つことなく、夢は現実に向かう。


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