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安達和悦物語


35 夢回帰線時代18 ビジョン  


「かつて君たちが入団前、客席から観ていたこの舞台の感動は、先輩達が熱い想いで作り上げてきたものなんだ。このスピリッツを伝えられない集団なら、もう解散したほうがいいと思っている。本公演の最後に解散を宣言しようと思う。もしも僕の悔しさを、少しでも理解できるのなら、今回の舞台で、それを示して欲しい。」

 1月29日。公演前のミーティングで、僕は劇団員にそう告げた。話しながら、悔しさをこらえきれずに泣けてきた。トミーはボロボロ泣いていた。真理はうんうんと頷いていた。他の劇団員も、瞳を潤ませていた。午後2時からの公演で、団員の演技が変わった。
 そして週をまたぎ、翌週末の土日公演、いよいよ楽日を迎えた2月の5日。終演後の拍手の中で、僕は静かに観客に別れを告げた。観客のアンケートの中に、こんなメッセージがあった。

「私にとって、年に何回かの夢回帰線の舞台は、とても楽しみなデートイベントでした。足利の名物(?)が消えてしまうのは、とても寂しい事ですが、また、いつの日か、安堂さんの作る舞台を観れることを楽しみにしています。長い間、お疲れ様でした。そして、感動をありがとう。」

 話は1月30日にさかのぼる。会社では経営者と社員2名を含む四者会議が行なわれた。この席で、僕は経営者の言葉を耳にし、愕然とする。最悪の場合と前置きされて伝えられたその近未来像は、僕自身の会社への信頼を見事なまでに打ち砕いた。僕は自分の道を行こうと、このとき初めて思った。

 翌31日の全社会議。絶望的な言葉が、全員に伝えられる。僕は伝えるべき言葉を飲み込んで、社長が言うように4月まで頑張ろうと思った。

 2月1日。女房とこれからのことを話した。劇団の解散。退職。そして、独立起業すること。理解を示してくれる女房と話すことで、迷いがなくなっていった。

 翌日、専務とガストで営業打合せを行う。席上、安達の真意が知りたいというので、僕は現時点での考えを正直に話した。
 今の劇団を解散し、公演をプロデュースできる会社として法人化したいと考えていること。そして、4月までに会社でやるべき事を、真剣に話し合った。

 2月6日、劇団解散宣言の翌日。嫌な気分に襲われる。このまま自分はどこへ行ってしまうのだろうという、とりとめのない不安。そしてまた、もうやるしかないんだ、と自分を鼓舞する。会社の営業会議にも、今ひとつ身が入らない。

「安堂さんね。それって、凄く前向きでいいことじゃない。次に行きたいっていうのはさ、ね。プラス思考なんだから、もっと自信持っていいんじゃない。」
 退社後、稽古場のオーナーである10khzの半田社長と会い、解散の事情を説明。励まされる。
 さらにその夜、妹香代子から電話がかかってきた。香代子もまた、今回の解散、起業に賛成し、応援を約束してくれた。またしても励まされる。弱気な気持ちがだいぶ楽になった。

 2月13日。『最後の洗礼』公演前から予定していた邑楽町ヤングプラザでの『ヒューマンコピー』公演のミーティングのため、会社の四者会議終了後の午後9時に、稽古場に入る。劇団員は一様に解散宣言を重く受け止めており、涙ぐんで反省の弁を述べる者もいた。沈み込んだムードの中で僕は告げた。

「すでに告知済みの『ヒューマンコピー』公演を最終公演として、夢回帰線は解散します。でも、僕は演劇はやめません。演劇を仕事にします。解散後、僕は今の会社を辞める。そして、芝居を作る会社を起業します。同時に安堂塾を開設し、そこでプロの役者を養成します。芝居が好きなら、一緒にやろうよ。」
 うつむいていた団員達は、顔をあげた。みんなの瞳が輝き始めた。


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